• 2009年03月 の記事一覧

2009年03月17日(火) 記事No.120
平成21年10月1日から住宅瑕疵担保履行法が施行されます。

住宅瑕疵担保履行法とは新築住宅の供給者(建築業者、不動産業者)に「保険加入」もしくは「保証金の供託」を義務付けることで、万が一その住宅に欠陥が生じた場合に供給者が責任を負うための資金を予め確保しておくというものです。


この法律が施行されると万が一、住宅に欠陥が生じた場合に住宅の完成引渡し後10年間、供給者に補修、または賠償金の支払いを義務付けるため、住民が修繕費用を負担する必要がなくなります。

欠陥があった場合どこまで保障されるのだろう?
新築住宅を供給する事業者は構造力上主要な部分と雨水の浸入を防止する部分の瑕疵に対して10年間の瑕疵担保責任を負っています。
瑕疵担保責任というのは、契約の目的物に瑕疵(欠陥)があった場合に、これを補修したり瑕疵によって生じた損害を賠償する責任のことをいいます。

いつから実施されるのだろう?
平成21年10月1日以降に引渡しされる新築住宅に対して、売主または建築事業者は「保険加入」もしくは「保証金の供託」を義務付けられます。
つまり引き渡しが10月1日以降になるかどうかで、新法による資力確保措置の有無が決まります。>

火災保険のように自分たちが負担しなければいけないの?
この制度は事業者に対する義務付けなので建築主が加入する必要はありません。
ただし、売主や建築業者に義務を履行しているかどうかの確認をしてください。

住み始めてから瑕疵(欠陥)があった場合はどうすればいいの?
概に制定されている「住宅品質確保法」で保障されているとおり、売主、建築事業者に補修代金の請求をすることができます。
その補修責任を売主、建築事業者が確実に行えるようにするのがこの法律のねらいです。

事業者が倒産してしまったらどうするの?
もし購入した住宅に瑕疵が見つかって、売主や事業者が倒産していても他の事業者の保険から、瑕疵を補修するための費用が負担される仕組みになっています。

万一もめごとがおきたらどうしたらいいの?
設計監理者と施工業者が違う場合は、まずは設計監理者に相談をしてください。
そういう時のためにも設計監理と施工業者を分けることをお勧めします。
ただし、この場合の設計監理とは施工業者経由ではなく建築主が選んだ建築家や設計事務所を指します。
施工業者の紹介や施工業者の専属の設計者は建築主のためには動きません。
なぜかというと、その場合の客は建築主ではなくて施工業者だからです。
設計施工で建築された場合には住宅紛争処理支援センターや、指定住宅紛争処理機関(弁護士会)による紛争処理手続きを利用することができます。


もっと詳しく知りたい方はこちらから国土交通省のHPへ
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2009年03月16日(月) 記事No.119
日本では住宅を建てる時はハウスメーカーで建てる人の割合が多いのですが、原因としては展示場があり分かり易い事と大手だからという安心感ではないかと思います。

そして大手ハウスメーカーでは高すぎて建てられない人達はハウスメーカーのフランチャイズで建てます。
こちらも展示場があるし、大手ほどではないにしても安心感もあります。

工務店の設計施工で建てる人達もいますが、最近は工務店も●●ホームとかの冠をつけているところが多くなりました。
少数ではありますが●●建設の家というふうに自社で独自の名前を確立しているところもあります。

設計施工を前提に考えるならば、地方で独自の家を建てているところの方が家造りに対する姿勢に愛情を感じます。

いうならばハウスメーカーの家は自由設計とは言ってもシリーズでほとんど決まっていますのでベルトコンベアで生産される自動車のようなものです。
営業担当が仕事を受注して設計担当がプランを作ってオペレーターがCADで図面を作成したものを現場担当に引き継ぐ。
そして完成間近になるとインテリア担当が照明やカーテンを決めて出来上がりです。

ここに愛情の入り込む隙があるでしょうか?

私はプランから実施設計、そして現場監理をしながらインテリアの詳細を1人で行っているほうがずっと愛情のある家が出来ると信じています。

最近の出来事を見ていると最大手の積水ハウスでさえ2008年7月に建築確認を受けないでアパートを建てていますし、浜松市では2007年から2008年にかけて8棟もの住宅について都市計画法に適合しているという市の証明書8通を偽造して建築確認を受けていたり、2棟については建築確認済証と検査済証を偽造して公文書偽造で刑事告発されています。

設計監理と施工が同じだからこのようなとんでもないことがおこるのです。

この2件に関しては担当者が単独で行ったようですが、そうした理由があるはずです。
勝手な憶測で言いますと、営業担当が建築主と着工日を決めていたが手続きが間に合いそうにないので偽造をしてしまったのではないのか?
日数さえあれば法的に問題がないのですから、遅れると言えない状況があったはずです。
大手ほど社内は殺伐としているのです。
そんな殺伐とした環境で愛情のある家が出来ると思いますか?

大手ハウスメーカーでも昔は会社ぐるみで違反をしていたところも少なからずあるのです。

「昔は」と言ったのは、各分野の大手メーカーが会社ぐるみで不正を暴かれたので企業倫理が重要視されて「現在はないだろう」との憶測であり、姉歯元建築士の構造計算偽造事件により建築基準法や建築士法が厳格化され「今の建築士はそんな違法はしないだろう」と思うからです。

新幹線に乗って目的地へ早く着くより各駅停車に乗ってゆっくりと行きませんか?

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2009年03月16日(月) 記事No.118
神戸のIKEAに行きました。
ポートアイランドにある家具と小物とスウェーデンの食品を置いているとても大きなショップです。

外観1

外観2


店内は一方通行で家具や小物類がたくさんありデザインがよくて安いです。
主にキッチンを見てきました。

キッチン2

キッチン3

キッチン4

キッチン6

キッチン7

キッチン9

この安さには驚きます。

キッチン8

キッチン11

その他の家具もデザインがよく安いです。

家にお金がかかってしまい予算に限りのある方にはよいかと思うのですが、はたして耐久性があるかどうかというと疑問です。


「安物買いの銭失い」にならなければよいのですが・・・

デザインがよくて耐久性のあるものを選びたいですね。
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2009年03月13日(金) 記事No.117
 岡山市の公立中学校の修学旅行を巡り、旅行代理店が価格カルテルを結んでいた疑いが強まり、公正取引委員会は11日、独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで近畿日本ツーリスト(東京都千代田区)やJTB子会社のJTB中国四国(広島市)など5社の岡山支社を立ち入り検査した。

 関係者によると、他の立ち入り先は、日本旅行(東京都港区)▽トップツアー(目黒区)▽東武トラベル(墨田区)。5社は遅くとも07年以降、岡山市内の公立中が見積もり合わせなどで発注する修学旅行を巡り、代金の低落防止のため営業担当者が会合を開いて価格カルテルを結んだ疑いがもたれている。

毎日新聞より引用


子供の修学旅行の金額を見たとき「何でこんなに高いのか?」と思ったことがある。

チラシなどで格安ツアーが多い中、数倍の金額になっていたのだ。

大手旅行会社の行為は建設業界でいう談合と同じだが、担当の教師は疑問を持たなかったのだろうか?
それとも、薄々分かっていて慣例に従ったのだろうか?

自分の家庭だとしっかりと節約をしても他人の金なら構わないと思っているのが公務員なのか?
公務員に限らず企業でその地位に付いている人達もやっているのだろう。

企業の損失は企業内での問題だが、公務員は違う。
修学旅行の金額は各家庭から徴収するし、建設業の談合なら国民の税金を無駄遣いしている。

もう20年も前になるが、まちづくり団体に所属をしていた時に通産省の課長が講演に来たことがある。
そして、講演の中で「国にはいくらでも金が余っている。そして、私はその金をばらまいている。」と言っていた。
その結果が今の日本の777兆6900億円の負債なのだ。



日本の借金時計
徒然 |  トラックバック(0) |  コメント(0) |  記事を編集 | 

2009年03月12日(木) 記事No.116
食品ではイオンがプライベートブランドの2200品目の値下げを発表し、西友が550品目のメーカーズブランドの加工品の値下げを発表。
パンのヤマザキも単純値下げを発表した。

ワインも円高還元セールで値下げをしているし、高級ブランドもカルティェ、ルイ・ヴィトン、プラダと値下げをしている。

建築費はどうだろうか?

去年は建材メーカーは値上げのラッシュだった。

だが急激に需要が冷え込んできており、輸入材も安くなっているはずだが、まだ値下げの動きは見られない。
では、工務店やハウスメーカーはどうだろうか?

建築はずっと冷え込んだままで去年の後半からはもっと冷え込んできている。
そうなると赤字を出してまで受注する体力もなくなっているだろう。

しかし、効率よくコストダウンを出来るところが生き残って行くのだろうと思う。
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2009年03月07日(土) 記事No.111
うちの水槽に5ヶ月前に産まれたダルマめだかの典型がいます。
写真の左端の中くらいの位置です。

ダルマめだか2

写真に写しにくいので丸いトレイに移しました。

ダルマめだか1

100匹に1匹突然変異で産まれるようで半ダルマは4匹くらいいますがここまでダルマさんだとかわいいですね。
水槽の写真は分かりにくいのですが、他のめだかと比べると丈が極端に短くてお腹が出ています。

暖かくなったらダルマさんと半ダルマを別の水槽に移して繁殖してみようかと思っています。


これは、レッドラムズホンで今まで2000匹以上を駆除したのですが、すぐに繁殖してしまいます。
買った水草についていたのですが増えて困ります。
特に害はなくて水槽に付いた藻を食べるのですが、べったりと張り付いてきれいではありません。
今日の駆除数163匹です。

レッドラムズホン


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2009年03月07日(土) 記事No.110
市役所から特殊建築物の定期調査及び検査報告をするようにと書類が来たので調査と報告書の作成をしてほしいとの依頼をうけました。

平成20年4月から検査及び報告内容が変わっており、内容を見てびっくりしたのが外装タイルの劣化についての調査。

竣工、外装改修から10年を経てからの最初の調査の際に全面打診等により調査 とある。

日本全国に外装タイル張りの特殊建築物が何万棟あるのだろう?

全面打診をするには大掛かりな足場を組むのか?

高層建物には足場など組めない。

では、ゴンドラなのか?

どちらにせよ、建物の所有者にとっては大変な出費だろう。
加えてこの不景気。

公共建物も外装タイル張りは多いけど、みんな国民の税金からの出費。


他にはエレベーター、エスカレーター、遊園地の遊戯施設、排煙設備、非常用照明などがあるが、事故が多かったのでこれらは必要だと思います。

が、外装タイルになると余分な費用がかかりすぎて本当に調査ができるのだろうか?

10年後を考えれば、すくなくとも、これからは外装タイルは使えない。



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2009年03月06日(金) 記事No.109
昨夜は年に4回の恒例になった誕生会を私の仕事場の奥の部屋で行いました。

今回の主役は一昨年設計をさせていただいたご主人です。

施主さん夫婦と大工さん夫婦と私の5人で鴨鍋をしました。
大工さんの奥さんが丹原から初参加。

最初はシャンパン(ハイパー・エドシック)で乾杯をして、私はシャンパンがなくなるまで飲み、施主さん夫婦と大工さんはビール、大工さんの奥さんは運転手なのでウーロン茶(乾杯用にサイダーを用意していたが炭酸がダメなので最初からウーロン茶)。

自分がビールを飲む習慣がないので普段はビールを常備していないのですが、近所の酒の宝島で買ってきました。

その後で私は赤ワイン、施主さん夫婦は麦焼酎、大工さんは米焼酎と別々の酒を飲み鴨鍋を食べました。
最後は高橋名人が打った蕎麦で鴨南蛮を作って約3時間でお開きでした。

次回は4月に大工さんの誕生会を旧東予市で行う予定。

やはり人と人とのつながりっていいものです。
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2009年03月05日(木) 記事No.108
ロスチャイルドに絡んでこんな記事もありました。
真実は私には分かりませんが、読むとそうかもしれないと思ってしまいます。



西洋による日本への侵略は、フランシスコ・ザビエルを始めとするイエズス会士の来日から開始されました。
宣教師を送り込んで原住民を改宗させ、改宗者が十分揃ったところで軍隊を送り、改宗者が現地政権に反抗するように仕向けるというのが占領の常套手段でした。
キリスト教宣教師は、植民地支配の尖兵としてスパイ活動をおこなっていたのです。

日本の位置づけ

1582年、日本に3年ほど滞在したイエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、フィリッピン総督のフランシスコ・デ・サンデに下記のような手紙を出しています。
「私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言することができます。なぜなら、国民は非常に高貴かつ有能にして、理性によく従うからです。もっとも、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きでしょう。
なぜなら、日本は、私がこれまで見てきた中で、最も国土が不毛かつ貧しい故に、求めるべきものは何もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからです。しかしながら、支那において陛下が行いたいと思っていることのために、日本は時とともに、非常に益することになるでしょう。それゆえ日本の地を極めて重視する必要があります。」
この「支那において陛下が行いたいと思っていること」とは、スペインによる中国の植民地化のことと思われます。つまり「日本には資源が少なく、国民は強いので、植民地にするには向いていないが、その軍事力は支那の征服に利用できるから、日本へのキリスト教の布教を重視する必要がある」ということでしょう。
このような見方は、以降、一貫して西洋からみた日本の“位置づけ”となっています。

イエズス会士は、スパイであると同時に貿易商人でもありました。貿易の目玉としたのは、火薬の原料となる“硝石”でした。
徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版には「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし。」と書かれています。キリシタン大名は、火薬一樽で50人の女性を奴隷として差し出したとのことです。

宣教師が諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代になりました。徳川家康は、火薬の流入が日本に戦乱を引き起こしたことを承知しており、鎖国の狙いはキリシタンと絶縁することにより火薬の流入を防ぐことであったと思われます。

明治維新の裏舞台

時は流れて1853年、米国よりペリー提督が艦隊を率いて来航し、砲艦外交(外交において軍艦の軍事力を背景として外交交渉を有利に進める手段)によって開国を迫りました。開国要求とは、今風に言えば「規制緩和」です。
このマシュー・ペリーは、フリーメーソンであり、娘婿がロスチャイルドの親戚であり米国代理人のオーガスト・ベルモントでした。当時のアメリカは、イギリス・フランス・オランダ・ロシア等、他の列強同様、アジア進出を目指して虎視眈々としていました。
とりわけその最終標的を中国に置いていたことは各種文献・資料からも明らかで、日本は中国への“足場”として極めて重要な位置にありました。
列強がアジア諸国を植民地化する際に用いたのは、現地の王侯、大商人等をフリーメーソン組織に入れ、彼らを操って内部抗争を起こさせ、その混乱に乗じて全体を手に入れるという手口でした。
かつてのキリスト教の役割をフリーメーソンが担うようになったのです。

1863年、のちに初代内閣総理大臣となる伊藤博文や井上馨ら長州藩士は、イギリスに密航しています。
この時に密航したのは5人で、その費用は一万両、現在の価値に直せば約10億円という途方もない金額です。
この密航を仲介したのが長崎の武器商人トーマス・ブレーク・グラバーであり、費用を用立てたのが清朝をアヘン戦争へと導いた貿易会社ジャーディン=マセソン商会でした。
グラバーは、21歳の時に来日し、25歳の時に長崎の観光名所となっているグラバー邸を完成させました。このグラバー邸に、長州の伊藤博文、薩摩の五代友厚、亀山社中・海援隊の坂本竜馬、三菱財閥の岩崎弥太郎ら、幕末から明治にかけて活躍した人物が続々と訪れています。グラバーがいなければ薩長同盟はありえなかったでしょう。
グラバーは、長崎の外国商会の中で最大の武器商人であり、薩長のみならず幕府側にも武器を売っていました。戊辰戦争の帰趨を決めたのは武器の優劣の差ですが、薩長側は当時世界最新鋭の野戦大砲であるアームストロング砲を使って勝利を収めました。この大砲は、もともと幕府がグラバーに注文していたものでしたが、グラバーは代金未納を口実に幕府に大砲を渡さず、これらを長州藩に横流ししたのです。
倒幕はグラバーと、その背後に控える英国なくしてありえませんでした。そして、当時のイギリスは既にロスチャイルド人脈によって支配されていました。
このグラバー、実はクーン・ローブ商会の代理人であり、フリーメーソンであり、ロイズ保険や香港上海銀行等の代理店でもありました。
ロイズ保険、香港上海銀行、そして兵器産業アームストロング社は、いずれもロスチャイルド系の企業です。

1877年、のちに内閣総理大臣となる松方正義が渡欧してフランス蔵相レオン・セーと会談しました。
この会談で、レオン・セーは「日本も中央銀行を持つべきである」と勧め、1882年に日本銀行が設立されました。このレオン・セーは、四代目当主アルフォンス・ド・ロスチャイルドの複数の企業で重役を務める“ロスチャイルド家の使用人”でした。
三井財閥の大番頭として第一国立銀行(現みずほ銀行)の頭取に就任し、以降、多くの地方銀行設立、東京ガス、日本郵船、東京海上保険、王子製紙、東洋紡、サッポロビール、帝国ホテル、石川島播磨重工業、東京証券取引所、秩父セメント、等々、500以上の企業の設立に関わり“日本資本主義の父”と呼ばれた渋沢栄一が、銀行業を学んだフリュリ・エラールもアルフォンス・ド・ロスチャイルドの使用人でした。

1882年、伊藤博文らは明治憲法を作るために再びイギリスに渡りました。
そのときロスチャイルドからユダヤ人憲法学者ルドルフ・フォン・グナイストとロレンツ・フォン・シュタインを紹介されています。
こうしてグナイストらに学び、作られたのが明治憲法、そして近代日本というわけです。

踊らされた日本

日本を太平洋戦争に導いた契機となったのが、1921年のワシントン軍縮会議でした。
それ以来、日英同盟の廃棄、中国における排日思想の誘発、満州における張学良を使っての日本との紛争の惹起、満州事変への誘導などの手が打たれ、さらに中国共産党と連携して支那事変を起こさせ、蒋介石を指導援助して対日抗戦を継続させました。
そして最終的には、石油禁輸によって日本を窮地に陥れ、ハル・ノートで真珠湾攻撃に追い込んだのです。
1921年から41年までの20年間の日米関係、日英関係を振り返ってみると、深い謀略が周到に張り巡らされていたことがわかります。しかも、日本国民の中にこれらの謀略の手先を務めた者たちがいました。
留学などの機会にキリスト教やフリーメーソン思想を吹き込まれた人々です。
また、国内で培われていた共産主義者、社会主義者も一役買っていました。

日本は、戦後6年間の占領によって根本的に変えられてしまいました。
GHQ の労働課長であった T ・コーエンは「日本の革命占領政策は、日本民族のフリーメーソン化、家庭の崩壊、世代間の断絶、国民の無気力化に眼目をおいた」と語っています。特に効果を発揮したのが“3S政策”で、国民をスポーツ・セックス・スクリーン(テレビや音楽を含む)に夢中にさせ、政治に関心を向けさせない愚民化政策です。
皇室もその力を削がれ、大部分の皇族は一般人となり、華族制度は解消され、財産税の無差別な適用によって皇室から財閥、市井の金持ちにいたるまで、日清戦争以降に中国やアジア諸国から収奪した莫大な財貨を没収されました。
結果的に、日本はアレッサンドロ・ヴァリニャーノが期待した役割を果たした挙句、“鳶に油揚げを攫われた”のです。

操られたルーズベルト

さて、米国を第二次大戦に参戦させるため、日本に真珠湾攻撃を仕掛けさせる画策をしたのは、実はロスチャイルド人脈に支配された英国でした。
1939年にジェラルド・P・ナイ上院議員は、上院の演説で、英国で出版された『次なる戦争におけるプロパガンダ』という本について言及しています。
「しばらくの間、合衆国がどちら側につくかはきわどいところであったが、最終的にはわれわれ(英国)のプロパガンダに分があった。(中略)アメリカに外部の争いで再び武器を取らせるには、決定的な脅威を与えなければならない。プロパガンダによって、すべての国民にはっきりとそれとわかる脅威を。(中略)もし日本を戦争に巻き込むことができれば、当然のことながら相当やりやすくなるであろう。そうすればこれ以上揺さぶりをかけなくても、アメリカを引き込むことができる。」

当時の米国大統領フランクリン・D・ルーズベルトを裏で操っていたとされるのが、バーナード・バルークとヘンリー・モーゲンソーJr.ら国際金融資本家と国際共産主義者たちでした。
「ウォール街 伝説の相場師」と呼ばれるバルークは、ウッドロー・ウィルソンを見出し、選挙資金を調達し大統領に当選させ、その後、ハウス大佐と共にウィルソンを扇動して第一次世界大戦へ参戦させたとされる人物です。
第一次世界大戦時には自ら戦時生産局長官となり、軍需工場のすべてを掌握し、軍事予算から膨大な利益を得ました。ウィルソン以降も、ハーディング、クーリッジ、フーバー、ルーズベルト、トルーマンと6人の大統領顧問として活躍しました。
さて、このバルークは、シフ家やウォーバーグ家と同じようにフランクフルトのゲットー時代からロスチャイルド家と類縁関係にありました。
ルーズベルト政権時の連邦農業局長、連邦信用局長、財務次官、財務長官。トルーマン政権時の財務長官を務めたヘンリー・モーゲンソーJr.は、大統領の懐刀として、また昔からの友人として、ルーズベルトに助言を与え、政策を立てていました。
戦後、日本とドイツから広大な領土を取り上げたうえに、苛酷な賠償請求まで課したモーゲンソープランの提唱者です。モーゲンソーJr.の父親は、ロスチャイルドの血族の銀行家ゴールドスミス一族。
母親は、ロスチャイルドの血族の鉱山王グッゲンハイム財閥の出身でした。

獲物は太らせてから食べる

第二次大戦後、世界の植民地はすべて解放されたように見えます。
しかし、植民地の体制を軍事・政治から商業・金融に移しただけに過ぎませんでした。直接統治という方式は、怒りに目覚めた民衆の反乱が起こり、それを鎮圧するために非常に高いコストがかかるからです。
かつての植民地は発展途上国と呼ばれ、開発のために融資を受け、その債務返済のために「構造改革」を迫られ、その資源は多国籍企業によって押さえ、結局は安価な資源の供給地のままに置かれました。
一方、日本はアメリカから資金と技術とノウハウの提供を受けて、軍事の面ではアメリカに依存し、経済大国となりました。
戦後の世界の産業構造を大まかな視点で見てみますと、途上国が資源を供給し、日本が生産し、アメリカが買うという構造になりました。当然、アメリカの対日貿易赤字が拡大し、それを是正するため、1985年のプラザ合意で「ドル安・円高」政策が取られます。これにより急激な円高が進行。
1ドル240円前後だった為替相場が、数年で1ドル120円台にまでなりました。
米国から見れば、この為替変動によって赤字を半分返済したようなものです。日本政府は、円高による打撃を受けた輸出業界を救済するため、金融緩和を実施しました。
この時ダブついたお金が投機を加熱。特に株と土地への投資が盛んになり、バブルが発生します。

国富消尽

平成14年度の「経済財政白書」によると、バブルが崩壊した1990年以降、土地と株式の資産価格が大幅に低下し、日本全体で累計1158兆円のキャピタル・ロス(保有損)が生じたと試算されています。実に毎年100兆円もの資産が日本から消えてなくなっていたのです。
バブルが発生する直前から崩壊する直前まで日銀総裁を勤めたのは澄田智氏でした。
日本経済を不良債権づくしにし、金融自由化を行なって「アメリカ金融界の日本上陸」を許し、バブル崩壊後に格安となった株券を外資に買占められる状況を作り出した澄田氏は、なぜか日銀総裁退任後、すぐにロスチャイルド系投資銀行ラザール・フレールの顧問に就任しています。

バブル崩壊後の苦境に立っても、「お人良し国家」日本は、消費ばかりして借金漬けの米国経済を支え続けてきました。貿易黒字によって蓄えたドルで米国債を買うので、ドルは結局アメリカに還流していきます。
日本が購入した米国債は、安全保障との名目で米財務省が保管しており、大量の米国債を売るには米国政府の許可が必要となるそうです。もちろん、それを米国政府が許可するとは思えません。
さらに、もし市場に売りに出したとして、この莫大な米国債を買える人物・機関が存在しません。万一いたとしても、莫大な米国債を市場に放出した時点で、価値が暴落します。
つまり、米国債は売らない=売れないことを前提にその価値を維持しているものに過ぎません。
また、日銀の超低金利政策によって、ほとんど資金調達コストをかけずに原資を手に入れ、それによって投資銀行が次々と諸外国の企業を買収し、ダメな部分は切り捨てて、伸ばせる部分だけを伸ばし、株価上げてから売り払います。

代表的な例をあげましょう。
新生銀行の前身である日本長期信用銀行は1998年に破綻し、政府が一時国有化。債務の約9割のカットをしたうえで投資ファンドのリップルウッドへ売却されました。
日本政府が特別公的管理期間中に投じた公金は約8兆円。
それに対しリップルウッドが要した経費は、10億円だけです。
約8兆円という巨額な公金が投じられた銀行を、自己資本10億円と投資家から集めた1200億円、合計1210億円で買収。
そして5年4ヶ月後に新生銀行は上場し、リップルウッドは2500億円もの利益を得たといいます。
また、2005年1月の2次売却で再び約2900億円の利益を得ました。
合計5400億円を超える利益です。このときリップルウッドを率いてきたのが、ラザール・フレールのティモシー・コリンズやゴールドマン・サックスのクリストファー・フラワーズでした。共にロスチャイルド系銀行で育てられた人物です。

ライブドアや村上ファンドを背後から操ったリーマン・ブラザースも、 ジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会と1977年に合併したロスチャイルド系投資銀行です。
小泉政権が誕生して三年間で、銀行の90%、製造業の70%、そして流通、食糧、土木建築、都内のホテルのほとんども外資の傘下に組み入れられました。

誰が日本を収奪しているのか

1993年の宮沢喜一首相とビル・クリントン大統領との会談以来、日本の政策は米国より出される『年次改革要望書』に沿っておこなわれてきました。
クリントン政権の財務長官ロバート・ルービンは、ゴールドマン・サックスの共同会長を務めていた人物です。ロバート・ルービンを裏で支えていたのが、アジア通貨危機を演出した人物として世界的に有名な投機家ジョージ・ソロス。
ハンガリーから単身ロンドンに出てきたソロスを名門「ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス」に入学させ面倒を見てきたのが、ロスチャイルドでした。

与党が推進する「規制緩和」や「構造改革」は、米国が戦後じっくりと育て、豊かな実を稔らせた日本から収穫するためにおこなわれているものと言っても過言ではないでしょう。
かつてのキリシタンや維新の志士、フリーメーソンの役割を果たしたのは、米国に留学して新自由主義経済を学んできた学者や官僚、金融ビジネスマンたちでした。
日本企業を買い漁っているゴールドマン・サックス、リーマン・ブラザース、リップルウッド、シティバンク、メリルリンチ、ソロモン・ブラザーズ、モルガン・スタンレー等が、いずれもFRBを支配しているロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの金融財閥連合の系列企業であることから、誰が日本を買い占め、収奪しているのか、明らかではないでしょうか?

次に奪われるのは命?

また、小泉政権時より盛んに中国の脅威が喧伝され、日本では「反中」が叫ばれ、逆に中国では「反日」が叫ばれてきましたが、その背後にはCIAの工作員による暗躍があるようです。
現在、日本が強引なほど憲法改正に向けて、また軍拡に向けて動き出しているのは、アレッサンドロ・ヴァリニャーノの時代から日本の“位置づけ”が変わっていないことを想起させます。
歴史的にみて、覇権が移動する時には必ず戦争が伴いました。このままいけば、現在の覇権国家アメリカと次世代の覇権国候補・中国の衝突は避けがたいものとなるでしょう。
その時、日本人は「愛国」の美名のもと、米国の手先として戦場に送られるかもしれません。

日本人はいつまでダマされつづけるのか

これまでみてきたように、日本は何度も同じような手口に引っかかり、国富を収奪されてきました。
このまま私たちは翻弄され続けても黙っているのでしょうか?
増大する格差、財政破綻、衰退する地方経済、働いても働いても貧しさから抜け出せないワーキング・プア、ホームレスやネットカフェ難民そして自殺者の増加、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入、派遣労働者の期間制限や雇用申し込み義務の廃止、消費税増税と企業減税、三角合併、etc. ほとんどの日本人の生活は、ますます苦しくなるばかりです。
このまま“家畜”のように扱われても良いのですか?





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2009年03月05日(木) 記事No.107
こんな記事を見つけました。

世界はロスチャイルドに牛耳られているらしい。


世界の金融、石油、情報機関、原子力、軍事、政治、食品、メディアを支配するといわれるロスチャイルド一族。
次々と有力な実業家、政治家、貴族、他の銀行家や財閥たちと閨閥(妻の親類を中心に結ばれている勢力)をつくりながら、世界の産業界に君臨していくその壮大な物語を要約してご紹介いたします。

ロスチャイルドの歴史

ロスチャイルド家発祥の地は、ドイツのフランクフルト。ゲットーと呼ばれるユダヤ人の居住地区からこの一族の歴史は始まりました。
当時、市民権すらもあたえられていなかったこの一族は、細々と両替商をしながら生活していました。
しかし、一族の初代マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、古銭集めという共通の趣味から、ドイツの名門貴族ヘッセン家のヴィルヘルム9世と知り合い、やがて一緒にビジネスを始めるようになります。

時は18世紀後半の戦乱の時代。この時、高利貸しと呼ばれる金融業に身を投じたマイヤーは、戦乱のヨーロッパ大陸を死の商人として駆け回り、莫大な自己資金を得ることに成功します。その後、マイヤーの5人の息子たちがヨーロッパ諸国へと散っていきます。


1764年・・・初代マイヤー・アムシェルがドイツ・ロスチャイルド商会創設
1804年・・・三男ネイサンがイギリス・ロスチャイルド商会創設
1817年・・・五男ジェームズがフランス・ロスチャイルド商会創設
1820年・・・次男サロモンがオーストリア・ロスチャイルド商会創設
1821年・・・四男カールがイタリア・ロスチャイルド商会創設

パリのジェームズとウィーンのサロモンが協力してヨーロッパ全体をカバーする通信と馬車輸送のネットワークを作り上げ、そこから誰よりも早く得られる情報を利用してロンドンのネイサンが金や通貨の投機をして大儲けするという兄弟ならではの連携プレーをし、今日の国際金融ビジネスの原型を作り上げました。
この頃は、ちょうどナポレオンの全盛期の頃にあたり、全ての国の国王や実力者が、いつなんどき引っくり返るかわからない時代において、5人兄弟の5カ国連合商会はリスクヘッジとしての性格も帯びていました

三男ネイサンの大活躍

イギリスへと渡ったネイサン・ロスチャイルドは、1810年にロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、新しい支配者となり、世界一の金融王としてイギリスがヨーロッパ同盟諸国に提供した4200万ポンドの資金の半分を調達するまでになりました。

そして1815年、ネイサンは世紀の大もうけに成功します。

皇帝ナポレオン率いるフランス軍と、イギリス=オランダ=プロイセン連合軍が戦った“ワーテルローの戦い”が起こりました。この戦争は、仮にイギリスがフランスに負ければ、大陸のパワーバランスが崩れ、イギリスの大陸における利権が一気に失われかねないということで、非常に大きな意味を持っていました。

この時、イギリスは国債を発行することによって対ナポレオン戦争の軍資金を調達していました。イギリスが負けることになれば、当然、イギリスの国債は大暴落してしまいます。投資家たちは、皆、戦争の行方を固唾を呑んで見守っていました。

そして、戦争終結から数日後、イギリスの国債は大暴落しました。その理由となったのは、ネイサン・ロスチャイルドでした。
その日の朝、ロンドン取引所の持ち場にいたネイサンは、青ざめ、疲れきった顔をして、急に国債を売り始めたといわれています。ネイサンは、イギリスに対して莫大な投資を行っており、また独自の情報ネットワークと情報を素早く手に入れるための手段(個人の快速船など)を有していることが知られていました。
そのため、ロンドンの市場関係者たちは、「ロスチャイルドが債権を売っているということはイギリスが負けたのだ」と考え、われ先にと債権を売り始め、最終的に国債は大暴落したのです。

しかしながら、実際はナポレオンがイギリスに敗北。
当然、戦勝国であるイギリスの国債は、大暴落した次の日には、イギリス勝利の情報とともに暴騰しました。しかし、その時はネイサンがイギリス国債を大量に買い漁った後だったのです。誰よりも早く、そして密かにイギリス勝利の確かな情報を手に入れていたネイサンは、イギリス国債を売りまくり、イギリス敗北を偽装するかたわら、秘密の代理店を使って、紙屑同然の値段となった国債を買いまくっていたのでした。

この出来事により、多くの投資家と、ほぼ全ての名門の家系が破産し、対してネイサンは約100万ポンドの利益を得たといわれています。
これは、当時のお金の価値では天文学的な数字で、この日の儲けで彼の財産は2500倍まで膨れ上がったともいわれています。このことはのちに「連合国はワーテルローの戦いに勝ったが、実際に勝ったのはロスチャイルドだった」という諺となって残っているそうです。

ヘッジ・ファンドの元祖

敗戦国フランスがイギリス同盟国に支払う賠償金の総額は7億フランに達しました。
この支払いを公債として引き受けたのがフランス・ロスチャイルド商会のジェームズ・ロスチャイルドです。彼は、この公債を売却して得たお金をヘッジ・ファンドと同様に投機家の貸付けに流用しながら、年間50%の利息を稼いだといわれています。

1820年代に入ると、ほとんどの大国の大蔵大臣がロスチャイルド5人兄弟に買収され、公債を発行して国の借金をつくっては、その2倍近い金額をロスチャイルド商会に支払うという取引がおこなわれました。相争うイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアの5カ国の対立構造の隙間を巧みに泳ぎ回り、プラスとマイナスの両者に投資して、必ずトータルでプラスにするという今日のヘッジ・ファンドの手法で、利益を一手に独占したのです。

巨大化する資本

1822年、兄弟5人が揃ってハプスブルグ家のオーストリア皇帝から男爵位を授与されました。
当時、迫害されていたユダヤ人としては異例の出来事です。当時のヨーロッパ諸国のすべてがロスチャイルド商会をあてにするようになり、ヨーロッパ全土の王室がロスチャイルド家にお金を借りにきました。

そうした結果、1815年当時、5つのロスチャイルド商会の資産総額は333万フランでしたが、3年後には4200万フランとなり、10年後には1億1840万フランにも膨れあがりました。
この額は自己資本だけの控えめな計算で、実際は1億6500万フランを超えていたといいます。このうちパリ・ロスチャイルド商会の推定資産は3700万フラン。パリ第2位のラフィット銀行が700万フラン。ナポレオンが設立した発券銀行であるフランス銀行でさえ6000万フランの時代ですから、ロスチャイルド商会の総資産1億6500万フランがいかに大きかったかがわかります。

世界に広がるロスチャイルド一族

その後、ロスチャイルド家は世界経済、ひいては世界史に対して、密かに大きな影響を与えていくことになります。

1836年、ネイサン・ロスチャイルドは58歳で死亡しましたが、翌年、フランクフルト・ロスチャイルド商会は米国に代表者としてオーガスト・ベルモントを派遣しました。オーガストは、のちに黒船で浦賀に来航したペリー提督の娘と結婚。ペリー家はモルガン家と結びつきボストン財閥を形成します。
ちなみに、太平洋戦争勃発まで駐日米国大使を務めたジョセフ・グルーも、ペリー一族でした。
オーガスト・ベルモントは、1856年には民主党の党首にまで上りつめ、約20年間その地位にとどまり、政治と実業界に影響を与えました。

また、ロスチャイルドは、もう一人の代理人ジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会を通じて、ロックフェラー、ハリマン、カーネギーに資金を提供して、これらを巨大財閥に育成しました。
ユダヤ人嫌いで有名なJ・P・モルガンもロスチャイルドから資金提供を受けて育てられた財閥だったのです。

ネイサンの息子ライオネルの時代に、ロンドン・ロスチャイルド商会は18ヶ国の債券16億ポンドを取り扱っていますが、これは現在価値でいうと、ほぼ10兆円にも達する金額です。彼らはロシアに君臨した女帝エカテリーナ二世の後継者であるアレクサンドルと皇帝二コライの財政にも入り込みます。
パリの末弟ジェームズはフランスの8大鉄道で12の重役ポストを占めて鉄道王となりました。彼が1868年に死去した時の遺産は6億フラン以上。6億フランは、フランス国内の他のすべての金融業者の資産総額より1億5000万フランも多いと推定されています。

史上最大の大富豪

ロスチャイルド商会は、オーガスト・ベルモントの活躍でアメリカに広大な利権を広げ、ロンドン一族も国際的な事業に乗り出しました。
1875年エジプトがスエズ運河の株を売りに出そうとしているのを知ったイギリスは、フランスに先手を打って急いで購入しようとしましたが、イングランド銀行からお金を引き出すには国会の承認が必要でした。一刻を争う事態に当時の首相ディズレリはライオネル・ロスチャイルドのもとに急使を飛ばし「明日までに400万ポンドを貸してください」と頼みました。
ライオネルが「担保は」と尋ねると「イギリス政府です」と使いが答えたので「結構です」と言って、たちまちポンと400万ポンドを揃えて17万6000株を購入し、イギリスがスエズ運河の最大株主となったといいます。

ちなみにイギリスの三枚舌政策として悪名高い、パレスチナでのユダヤ人国家建設を約束した「バルフォア宣言」をイギリス政府に行わせたのは、このライオネルでした。

19世紀の100年間でロスチャイルド一族が得た富は、4億ポンド超えると推定されています。大英帝国の歴史上、最大の富豪はヴィクトリア女王でしたが、女王の資産は最大でも500万ポンドと推定されています。
ロスチャイルド家は、全員がヴィクトリア女王の何倍かを所有していたのです。4億ポンドは現在価値でいうと800億円になります。
それから100年間の利回りで、時価の変化をまったく無視しても、自動的に現在では200兆円に増大していることになります。

日露戦争とロスチャイルド

ロスチャイルド家は日本の歴史にも影響を与えています。

20世紀初頭、朝鮮半島の利権の対立から、日本は大国ロシアと戦うことになります。もし、負けることになれば、朝鮮半島はロシアの手に渡り、日本が列強の仲間入りを果たすことを阻まれるどころか、他のアジアの国々のように、日本も列強の植民地の一つになりかねません。負けることは許されませんでした。
しかし相手は大国のロシア。戦争当初からの日本の目的は「ロシアと引き分ける」ことだったそうです。

新興国であった日本に、ロシアのような強大国と争うだけの資金力があるはずもなく、当時の日銀副総裁・高橋是清は、戦争の資金集めにアメリカやヨーロッパを奔走しました。
この時、日露戦争において、日本が勝つと考えていた人はほとんどおらず、アメリカでの資金集めに失敗した高橋はヨーロッパへ行き、ロスチャイルド家に援助を要請しました。ロスチャイルド家はロシアの南下政策をよしとせず、また、ユダヤ人を迫害する傾向のあるロシアを嫌ってはいたものの、ロシア国内にバクー油田の利権などを抱えており、表向き全面的な協力をすることはありませんでしたが、それでも高橋の目標額の半分である500万ポンドを負担してくれました。

高橋に大きな援助をしたのはジェイコブ・シフというユダヤ人でした。クーン・ローブ商会を率いる彼は、高橋に500万ポンドという多額の融資を行い、他のユダヤ人にも日本国債を買うことを勧めました。最終的に高橋は、日露戦争中8200万ポンドもの戦費を調達します。

ところで、このシフですが、実はロスチャイルド家と血縁関係を持つ人間でした。高橋にシフを紹介したのも、他ならぬロスチャイルド家でした。ロスチャイルド家は日露戦争中、シフを通して裏で日本国債を買い漁り、最も利益を上げたのです。

現在のロスチャイルド

第一次世界大戦後の時期は、ユダヤ人にとって悪夢のような時期であったといえますが、ロスチャイルド家にとってもそうでした。実際、第二次世界大戦後、ロスチャイルド家の五人兄弟の家系の内、本家が残っているのはイギリスとフランスだけでした。そのため、第二次世界大戦後、一族は没落したと言われています。しかし、実際の所はどうなのでしょうか?

【通信】
タイムズ(新聞)
ザ・サン(新聞)
ロイター通信(通信社)、AP(通信社)※世界の情報はこの2社から発信。
ABC・NBC・CBS放送(アメリカ三大ネットワーク)
【石油】
ブリテッシュ・ベトロリアム(石油会社)
ロイヤル・ダッチ・シェル(石油会社)
【金属・重工業】
ビッカース (兵器)
ダッソー(兵器)
アームストロング(兵器)
シュットーデル(兵器)
ミノルコ(金属)
モンド・ニッケル
モンド社(アルカリ)
【その他】
フィリップ・モリス(米最大のタバコメーカー)
ローマ・プーラン(仏最大の総合科学・製薬メーカー)
デビアス(鉱物会社=ダイヤモンドを独占)
リオ・チント・ジンク(鉱物会社=金・ウランをほぼ独占)
【食品】
ネッスル(コーヒー)
ユニリーバ(食品)
ブルックボ ンド(紅茶)
【銀行・保険】
フランス銀行
イングランド銀行
パリ国立銀行
スエズ金融
香港上海銀行
ウェストミンスター銀行
ルイ・ドレフェス商会
ソロモン・ブラザーズ
ラザール・フレール
ゴールドマン・サックス
リーマン・ブラザーズ
カナダロイヤル銀行
アラブ投資銀行
モントリオール銀行
ジェネラル銀行
ブリュッセル・ランベール
ウェストバンク
etc.
これらの会社は有名な多国籍企業ですが、全てロスチャイルド系の企業です。

他にも、世界最高級ワインとして名高いシャトー・ムトン・ロチルドとシャトー・ラフィット・ロチルドは共にロスチャイルド家のワインであることは、非常に有名です。また、ロンドンで世界の金の価格を毎日決めているのもロスチャイルド一族の人々です。

伝説は続く

1949年6月30日にパリ証券取引所で一つの事件が起こりました。
その日、何の理由もなく、リオ・チント・ジンク、ロイヤル・ダッチ・シェル、ル・ニッケル、デビアスという4大銘柄が、一斉に大暴落したのです。原因はギイ・ロスチャイルドの父エドゥアールが81歳で死去したことにありました。
パリ・ロスチャイルド銀行の主だったエドゥアールとはいえ、この高齢で実業に関与しているはずもなく、無関係なはずだったのですが、彼の死去と株価は遺産相続人にとって重大な関係を持っていました。遺産にかかる相続税のうち、エドゥアールが保有していた株への課税は、死亡時の証券の時価によって算定されるからです。
4大銘柄はロスチャイルド株であり、一族が持ち株の価値を暴落させることによって、遺産相続にかかる税金が大幅に抑えられたのです。翌日には、一族が買い戻し、株価はたちまち回復しました。

以後、ロスチャイルド一族は現在の世代に継承され、さらに新しい屋敷と別荘を次々と建設してきました。1901年に閉鎖されたフランクフルト・ロスチャイルド銀行は、1989年、ほぼ90年ぶりにオープンし、かつてのロスチャイルド邸の敷地に隣接して、ヨーロッパ中央銀行が建ち、99年1月1日にヨーロッパ統一通貨ユーロが誕生しました。

「ロスチャイルド一族は戦争を始めることも防ぐこと出来る。彼らの言葉は帝国を築くことも破壊することもできる。」1923年12月3日付シカゴ・イブニング紙



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2009年03月03日(火) 記事No.106

























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