2014年08月10日(日) 記事No.514
7月15日から八幡神社へ毎日お参りを始めました。
表参道から見る弐の鳥居、その先約200mの所に壱の鳥居があります。
子供の頃は松の並木で参道は昼でも薄暗かったように記憶していますが、松食い虫で全部枯れてしまいました。
今は壱の鳥居から弐の鳥居までの間は桜が植えられており春には桜並木です。
秋祭りの最終日10月18日には八幡神社氏子太鼓台がこの表参道から宮入りします。

八幡表参道0810


八幡神社境内

八幡神社0810


手水で手を清めます。

手水10810


手水の中にクマゼミが落ちています。
梅雨明けの頃はニイニイゼミが落ちていました。

手水のセミ0810


カナブンも落ちています。
2日に一度は何かの虫が落ちています。
生きている時もあれば、死んでいる時もあります。

手水のカナブン0810


まだ生きていたので、近くの木の下に置きました。

セミとカナブン0810


お参りを済ませ、いつもはこのまま帰りますが、海岸まで出たくなりました。
平成11年に海岸にあった裏鳥居が、防波堤建設のために、ここに移設されました。

裏鳥居0810


神社の境内から裏参道に出ます。
左側は住友金属鉱山の海浜館です。
海水浴場で賑わっていた頃は住友金属鉱山の社員と家族がたくさん来ていました。
今でも、夏には屋外でビアガーデンをしており社員だけが利用しています。
子供の頃、入りたくても入れない所でした。
父親の弟が住友金属鉱山の社員でしたが、四坂島に住んでいたので、四坂島には遊びに行きましたが、海浜館には一度も入ったことがありません。

八幡裏参道



海浜館の正面です。

海浜館0810


垣生海岸に出ました。
この位置に裏鳥居がありました。

裏鳥居跡0810


小学生の頃は道路から直接海岸に降りられましたが、一度低い防波堤が作られて、その後平成11年に今の高さになりました。
海岸から3mくらいの高さです。
東南海沖地震がくれば、瀬戸内海でも津波が3mを超える可能性があるので、これを超えたら私の家も仕事場も流されるかも知れません。

防波堤0810


子供の頃は、家で海水パンツをはいて、ここまで歩いて浮き袋を持って泳ぎにきました。
海の近くなのに、恥ずかしながら今でもまともに泳げません。
この建物は、昔は唯一私が行くことができた石田の海の家です。
うどん、おでん、かき氷などが置いていました。
ボートの貸し出しもしていました。
今は民家です。

元石田の海の家0810


右側の草地が昔は住友化学の海の家があった場所です。
こちらも住友化学の社員と家族しか入れませんでした。
親戚に住友化学に勤めていたおじさんがいて、2回くらい入りました。
石田より多くの食べ物や飲み物があり、プールもありました。
夏休みになると、住友化学の海の家の前の海は多くの人でごった返していました。
中学生の頃に、住友化学の工場から出る廃液で海が汚れて、海水浴に来る人が激減して、海の家は取り壊されました。
代わりに市民プールが寄贈されました。
10年後には、ヘドロ対策で海もきれいになり、海水浴場はもっと東に移動されて、新居浜市がシャワーなどを設置していましたが、サメの出現で遊泳禁止になり、マリンパークの人工海水浴場へと替わりました。

住友化学の海の家跡0810















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徒然 |  トラックバック(0) |  コメント(3) |  記事を編集 | 

2014年08月20日(水) 勘違いしてますよ
石田の海の家と化学の海の家はそこではないですよ。
もう少し東、毎日牛乳のトイメンが石田さんちで、その東隣、一軒の民家を挟んだ更地が、化学の海の家の跡地です。
優二さんが化学の海の家だと述べているところは、海浜館の裏庭みたいなもんです。
チュー | URL | コメントを編集 | 
2014年08月20日(水) それと、
化学の海の家は、オレがこっちへUターンしてきた1980年以降も暫くはありました。
早朝野球のメンバーと海水浴をしたときに入った記憶がありますから、1985年頃?辺りまでは営業してたんじゃないかな?・・・
チュー | URL | コメントを編集 | 
2014年08月20日(水)
あそこも海浜館だったのか。
化学の海の家にしては近すぎるとは思ったけど、プールの跡があったので勘違いしていました。
それにしても化学の海の家はそんなに遅くまでありましたっけ?
中学校を卒業してから15年くらい海岸へは行っていなかったような気がする。
kon | URL | コメントを編集 | 

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